文字→写真→動画と情報は進化してきて、今は、ショート動画へと移り変わってきました。AIがユーザーの好みを反映して、自動的におすすめ動画をどんどん差し込んできます。
このカスタマイズされた情報は、「深く考える力」を奪ってしまったと感じています。
段階的に感じた違和感を共有します。
1.紙媒体
本や新聞は、広く情報が書かれていて、良くも悪くも自分の興味以外の情報をインプットすることになります。
2.ネット検索
その後、インターネット検索が出てきたときに、ヤフーのトップ画面に置き換わりました。そして、自分の知りたいことを検索することで、インプット。ヤフーのトップ画面のトピックが新聞の見出しの役割をしていましたが、よりシンプルに検索だけしたくなり、グーグル検索バーのみになりました。
この段階で、私はネット検索は自分の知りたいことしかわからなくなってしまうなぁと感じていました。
3.おすすめ動画
今では、AIがショート動画を無限におすすめしてきます。深ぼっているようで、実際は知識を得た風な虚無を感じます。おすすめの中には、好みを読み取ってプロモーションや商材なども巧みに入れ込まれていますね。
もはや、自分の好みを操作されている様に感じています。
先月からモノの断捨離を始めて、情報に関しても断捨離をしています。
もう1カ月、YOUTUBE、インスタリール、TIKTOKは見ていません。
ジャーナルといって心の中をノートに書きだしたり、図書館に行って気になる背表紙の本を手当たり次第に読みふけっています。
そして、気付いたことが、【取捨選択に価値がある】ということです。
何に興味があって、どう在りたいか。ショート動画からインプットすることは私にはあっていませんでした。
大量の情報をインプットすることではなく、情報を選ぶことが大事なんです。
無意味は情報を、断
自分の興味のない情報を、捨
自分軸で最適化する、離
情報の断捨離が、ものごとを深く考える一助になりますね